近年、インターネットの世界では「オールドメディア」という言葉が、既存のメディアを揶揄するような意味で使われることが多い。確かに、1990年代初期にインターネットに触れて以来、私自身がテレビをほとんど見なくなった人間だ。したがって「オールドメディア」という表現には一定の妥当性があるとは考えている。しかしインターネットが真実を伝える場であると考えたことは一度たりともない。
むしろ、現在のSNS、たとえばInstagramやX(旧Twitter)は過剰なアルゴリズムによって、ゴシップ記事だらけの週刊誌(あるいはワイドショーのようなもの)を強制的に見せられているような感覚を覚える。人は誰しも、他人のゴシップやしょうもない政治家の話題、あるいは悲惨な事件に一喜一憂する性質を持っている。それは否定し得ない人の本質だ。しかし、アルゴリズムによって構築されたタイムラインに表示される内容は、大切なニュースが含まれているにせよ、全体としては劣悪で混沌とした情報の集合体に過ぎない。それは、今の人達が「オールドメディア」と揶揄する過去のメディア構造の、最も劣悪な部分を凝縮した存在であるように思える。
さらに問題なのは、SNSには子どもたちも利用するにもかかわらず、平然とポルノや暴力的な映像が流れてくる現実だ。YouTubeですらそうした事態を完全に防ぎきれていない。こうした状況を見るにつけ、少なくとも既存メディアの方が規範意識という点では信頼を置けるのではないかと思わざるを得ない。
オールドメディアとインターネットメディアの違いを考えると、それは情報の信憑性や倫理観ではなく、権力の集中と分散の構造にあると言える。オールドメディアは、情報の発信源が限定されており、そこに権力が集中している。一方で、インターネット上のメディアは発信源が無数に分散し、権力が偏らないという点で健全な側面を持つ。しかし、それが情報の正確性や責任を担保するかと言えば、決してそうではない。むしろ責任の所在が不明瞭である分、既存メディアよりも信憑性に欠ける場合が多い。現に、陰謀論や誤情報の拡散がインターネットから広がるケースは後を絶たない。
ここで改めて問いたい。私たちが批判する「オールドメディア」の欠点と、現代のSNSの構造を比較した時、SNSにはオールドメディアの最悪な部分が全て詰まっているのではないか。たとえば、かつてオウム真理教の麻原彰晃がテレビで面白おかしく取り上げられたように、立花孝志のような人物がSNSやYouTubeで注目され、それが選挙の結果を歪めるという事態が繰り返されている。また同様に、新型コロナウイルスのワクチンに関する陰謀論のような誤情報がSNSを通じて広まり、根拠を無視した不安や分断させたこともある。それにもかかわらず、多くの人々はこうした現象に何の反省もない。結局のところ、時代が変わっても人の本質は変わらない。一定数の人々は、今も昔も変わらず愚かなものを信じ、偏った情報に踊らされ続ける。
SNSなどは権力の分散という点では一見進歩的に見えるが、実際には規制や倫理の欠如した場であり、情報に対する責任感が希薄だ。皮肉なことに、それは私たちが軽蔑するオールドメディアの構造を「縮小再生産」にしているに過ぎない。