中居正広という人物が示談を経たこの事件について、一部では「示談が成立した以上、周囲が騒ぐべきではない」といった論調が見られる。しかし、この意見には多くの疑問が残る。
まず、不同意性交は非親告罪であり、示談の有無にかかわらず、その本質的な悪質性は失われることはない。示談が成立したとしても、それはあくまで刑事的責任の一部を回避したに過ぎず、社会的責任や道義的責任が消滅するわけではない。影響力のある立場にいる者が、その立場を失うのは当然の帰結だ。むしろ、そのような制裁は、社会の秩序を保つ上で不可欠な手段である。
例えば、自分の家族がこのような被害に遭い、相手が加害者として示談を迫り、それが成立した場合を想像してほしい。その加害者が職場や社会的地位を利用して示談を「解決」と主張したとしたら、その主張に納得できるだろうか。被害者側の心情や、社会が事件をどのように受け止めるべきかを考えると、「示談で済んだ話」と片付けることがどれほど不誠実な態度かは明白である。
さらに、事件の詳細を知る機会があった家族や同僚といった当事者以外の第三者には、直接的な守秘義務が課されることは通常ない。そのため、これらの第三者が事件の性質や事実を口外した場合でも、法的責任を問われる可能性は極めて低いと言える。特に、事件の悪質性が明白であり、口外が公共の利益に資すると判断される場合、その責任が問われることはほぼないだろう。
この「示談が成立した以上、周囲が騒ぐべきではない」という論調の背景には、女性への偏見や無理解が根深く存在しているように思える。女性が被害を受けた事実よりも、加害者の「地位」や「示談成立」という形式が優先される風潮は、見過ごされるべきではない。示談は法的手続きの一環に過ぎず、それが道義的責任を免除する理由にはならない。事件の本質を見据えた上で、加害者がその立場にふさわしくないと判断されるならば、社会はその判断を明確に示すべきだ。
さらに視点を広げれば、この問題の背景には、ジャニーズという事務所自体が抱える構造的な問題が横たわっていることも見逃せない。未成年への性加害で社会問題となったTOKIOの元メンバー山口氏の件を思い起こすまでもなく、ジャニー喜多川が長年にわたって所属タレントたちに行ってきた性加害が、その問題の根深さを象徴している。