人にはそれぞれの整合と合理がある。私の見ている事実が、そのまま他の人の視点になるとは限らない。ゆえに、価値が事実だけに宿るわけではない。
では、事実に価値はないのか?私はそこで「再生産」を軸に考える。ここでの再生産は、結果を安定して繰り返し、他者に引き渡し、条件に応じて拡張できることを指す。その土台には、観察できる出来事への注意と、そこから組み立てた手順が要る。
論理の筋道は単純で、事実に即した手順は再現性を高める。再現性は予測可能性を生み、予測可能性は協力の摩擦を下げる。摩擦が下がれば、時間と資源に余裕が生まれる。余裕は選択肢とやり直しの経路を増やし、生活の安定と回復力を底上げする。これは個人にも組織にも社会にも働く。個人では学び直しが効き、組織では属人化が薄まり、社会では記録と検証が制度を支える。つまり再生産を効率よく回すには、事実やそれらに即した現象や関係性を適切に理解する必要がある。
私たちの社会に馴染みつつあるAIは、この再生産を加速する装置に近い。観察から得た規則を圧縮し、手順やテンプレートとして配布し、更新を高速化する。標準化、ばらつきの低減、引き継ぎの容易化、検証の自動化。こうした機能は協力のコストを下げ、人的資源を判断や関係に振り向けやすくする。その結果として、選べる幅とやり直しの道が広がる。
ただし前提はある。目的設定とデータの質、評価の仕組み、責任の所在が整っていること。ここを間違えると、再生産は歪んだ方向に強化される。AIは価値の全体を代理しない。意味や規範の選択は人の仕事だろう。
つまり、価値は事実だけにあるわけではないが、共同の営みを持続させる領域では、事実に基づく再生産が要の条件になる。そしてAIはその回路を拡張できる。条件を満たして運用する限り、AIは豊かさと実感のある安心に、現実的なかたちで寄与する。