社会全体の指向性を決める作られたエンゲージメント

SNSのタイムラインは「会話の場」というより、アルゴリズムが反応の強さを基準に投稿を並べ替える装置になっている。ここで計測される反応は、共感や支持だけではない。否定的な反応や批判的なコメント、引用や返信での言い返しまで含めて、手が動き、滞在が発生したという事実として同じ指標に回収される。

この前提に立つと、「人気」と「反応」が混線する。人気は本来、肯定的な支持の集積に近い。しかしアルゴリズムが最適化しているのは、支持の質ではなく反応の量と発生確率であることが多い。結果として、社会的に支持された言説よりも、社会的な摩擦を起こして反応を引き出した言説が上位に現れやすくなる。

投稿者側も、その環境に適応する。支持者だけが快適になる文章は反応の幅が狭い。反対側が反応せざるを得ない要素を含めると、返信、引用、リポスト、外部への持ち出しが増える。そこで重視されるのは正確さや妥当性というより、相手に反応させる余地があるかどうかだ。断定、単純化、挑発的な言い回しが選ばれやすいのは、内容の優劣ではなく、アルゴリズムが拾う指標に対して効率が良いからだ。

この過程で厄介なのは、反対する行為そのものが露出の燃料になり得る点だ。差別的・排外主義的な投稿に対して訂正や抗議をする。これは倫理的には当然の行為でも、システム上は返信や引用として加算して評価される。賛同と反発が同じ方向に数字を押し上げる状況では、反論の集中が、その投稿の可視性を高める経路にもなる。

さらに、これは局所的な流行で終わらない現象にエスカレートする。ある投稿形式が「広く反応を取れる型」としてアルゴリズムに学習されると、特定コミュニティ内での支持の有無とは別に、全体の推薦の候補として扱われやすくなる。つまり、嗜好一致が弱い層にも一定の確率で露出が割り当てられる。露出が増えれば反応が増え、反応が増えれば「型」としての評価が強化され、さらに露出が増える。こうして反応を最大化しやすい形式が増殖する。

へずまりゅう的な投稿様式が社会的に認知されていった経路も、この構造と相性が良い。最初は局所での話題であっても、反応の総量が継続して取れる形式であれば、アルゴリズムの学習対象として取り込まれる。その結果、個人のキャラクターや文脈を超えて形式自体が一般化し、インフルエンサーでなくとも、同種の投稿が連鎖的に出現しやすくなる。排外主義的なキーワードの扱いも同様で、内容への賛否以前に、反応を二方向から集めやすい構造があるため、露出の増加と形式の複製が起きやすい。最適化されたアルゴリズムがそれを助長する。

この状況では、タイムラインが「社会が何を支持しているか」を直接反映しているとは言いにくい。反映しているのは、どの言説が反応を生みやすいか、という側面である。そこで上に来るものが「社会の関心」として受け取られると、観測結果が歪む。関心が増えたから露出が増えたのではなく、露出が増える条件が反応の量と発生確率に寄っているために、反応を取りやすい型が関心のように見えている。

ここで起きているのは、善悪の問題というより最適化の問題。投稿者は反応の取れる形式へ適応し、アルゴリズムは反応の取れた形式を学習し、ユーザーはその結果として摩擦の強い投稿に触れる頻度が上がる。賛同と反発の双方が同じ指標として回収され続ける限り、反応を最大化しやすい形式が可視性を獲得し続ける状態が成立している。