価格と再生産の構造、そしてAIが書き換える市場の規範について
ここ最近、私は「価値とは何か」「価格とは何によって決まるのか」という問題について考えている。特に、フリーランスや零細企業、あるいはアーティストたちが自身のサービスや商品に対して感じるフラストレーションには、現代の市場構造の盲点が露呈しているように思える。
たしかに、デザイナーの労力を軽視する者もいれば、写真家に「シャッター押すだけでしょ」と言い放つような者もいる。音楽家に対して「趣味を仕事にしてるだけじゃないの?」なんていう無理解もある。そういう人間がこの世に存在するのは事実だ。だが、それを嘆いているだけでは問題の根本には届かない。むしろ、それがなぜ起きているのか、その構造にこそ目を向ける必要がある。
価格というものは、結局のところ、需要と供給で決まる。これは資本主義の最も基礎的な原理であり法則だ。この前提を無視して、「自分のサービスにはこれだけの価値があるからこの価格で売る」といった姿勢を持つのは、どうにも腑に落ちない。なぜならそれは、市場という前提の外で、独りよがりに旗を掲げているようにしか見えないからだ。
もちろん、価格は自由に設定できる。紙の上では。それが法的に許されているという意味でなら。ただしそれが「売れる価格」であるとは限らない。買い手がいなければ、その価格は単なる数字の幻想に過ぎない。ここで重要になるのが「再生産可能性」という視点だ。
再生産可能性の本質と価格決定の原理
再生産可能なものとは、何もクリエイティブワークに限った話ではない。農業、工業、サービス業~この世界のほとんどすべての産業が再生産可能な商品やサービスを提供している。野菜は毎年育てられ、スマートフォンは毎年新型が組み立てられ、飲食業は日々料理を提供している。再生産可能性とは、すなわち同一の(あるいは同等の)品質をもつモノやサービスを反復して供給できる性質を指す。
この再生産可能性を持つ限り、商品の価格は販売者の意思だけでは決定されない。仮に、唯一無二の努力や感性が込められていたとしても、それに似た商品を別の誰かが、より安く、より効率的に提供できるならば、価格はそちらに収束していく。市場とは、基本的に代替可能性の上に成り立っている。
「自分のサービスにはこれだけの価値があるからこの価格で売る」とする態度には、私は共感できない。価格というのは、販売者の自負や希望で設定するものではなく、需要の側が払ってもよいと感じる金額でしか成立しない。それを無視するならば、ビジネスという場の上では成立しない主張となってしまう。
ブランディングやマーケティングによって価格を引き上げることは可能だ。しかしそれとて、「需要の質」を変えるための戦略に過ぎない。つまり再び、需要と供給の構造の中に回帰することになる。価格とは、常に市場との関係性のなかで生まれる相対的な値である。
「0から1」の誤解と再生産の拡張性
ここで話が少し横道にそれるのを承知で書いておきたいのだが、「自分はゼロからイチを生み出した」と語る経営者やフリーランスが少なくない。新たなサービス、新たな事業、新たなスタイル。それらが本人の中では「前例なき挑戦」であることは理解できる。だが、実際には多くの場合、それは既存の枠組みの延長線上にある「拡張」に過ぎないことが多い。
むしろ、事業やサービスに自ら携わっている人間ほど、物事の判断が歪むという現象が起きる。通常の会社員やサラリーマンであれば、価格や市場構造に対して深く考える機会がないため、誤解を抱くことも少ない。しかし、経営者やフリーランスのように、市場や顧客との接点に主体的に立ち続ける人間は、見ようとする視線が強くなるがゆえに、かえって認識のバランスを欠くことがある。たとえば、「価格は自分の意思で決められるものだ」と考えてしまうように。
AIと再生産構造の変容
しかしここにきて、再生産という概念そのものを根本から変えうる技術が現れた。それがAIだ。
AIは、単に「再生産の効率を高める道具」ではない。むしろそれは、「誰が再生産の主導権を握るか」という問題において、根本的な転換点をもたらした存在である。たとえば、文章生成・画像生成・コード生成・計算・翻訳といった作業は、かつては一定の訓練や専門性を要する領域だった。しかし現在では、AIの支援によって、それらが劇的に簡略化され、かつ低コストかつ高速で行えるようになっている。
この変化によって、「再生産にかかる人的コスト」という前提が崩壊した。つまり、供給のボトルネックが極端に縮小され、その結果、市場における供給量は爆発的に増加した。ここで価格形成の構造は大きく変わる。供給が無限に近づけば、価格は限りなくゼロに収束する。再生産にかかるコストがほぼ存在しない以上、その価値もまた希薄になる。
とはいえ、現時点でこの再生産構造の最前線にいるのはOpenAIのChatGPTであり、その技術的な優位性は他の追随を許さない。したがって、AI自体が再生産され尽くしたとはまだ言えない。むしろ、再生産可能であるという構造的未来が見えてきた段階にあり、その本質的影響が市場に及ぶのはこれからだろう。
このようなAIの登場は、私にとって悲観ではなく、「構造的な変化」として捉えている。従来の再生産構造を制御する新たなツールとして、AIには価格決定の実質的な主導権がある。人間が供給に関わる必要がなくなれば、価格の定義そのものが刷新される。その意味で、AIは構造的イノベーションの核である。
構造の転換としてのイノベーション
AIが生み出したのは、新しい表現でも新しい商品でもない。市場の供給構造そのものの書き換えである。これはまさしく、0から1に近い構造的イノベーションだと私は捉えている。
ただ、ここで私はもう一つの側面について触れておきたい。というのも、この「0から1」に見える構造的な飛躍の背後には、人間にとって根源的なパラドックスが潜んでいるように思えるからだ。
何かが「初めて」生み出されたとされるとき、それは確かに形式としては新しいかもしれない。だが、それが意味しているのは、本当にゼロからの創造なのか、それとも既存の“1”を他の誰かから奪い取っている構造になっているのではないか?つまり、誰かの足場を切り崩すことで初めて立ち現れる“0から1”という形式は、果たして純粋な創造と呼べるのか、という問題である。
AIが構造を変えたという事実は否定できないが、その影響は単なる技術的なものにとどまらず、誰が市場の優位性を握るか、誰が「価値」を再定義できるかという、力の構図にまで及ぶ。再生産を制御できる者が価格を支配する。これは言い換えれば、従来「1」としてあったものの配分を塗り替える行為とも言える。
そして、今後価格を支配するのは、おそらくこの「再生産を制御できる存在」だ。かつて価格は希少性によって守られていた。だがAIによって、希少性の概念すらも変わりつつある。構造を変えるということは、個々の商品を超えて、市場そのものの性質を変化させるということだ。つまり、構造的イノベーションとは、単なる創造の物語ではなく、構造の中にあった既存の価値を再配分し直す、ある種の“所有権の再構成”に他ならない。