
この写真は、私が生まれて間もない時のもの。母が新生児の私を優しく抱きしめ、その前には兄が立っている。おそらく、写真の背後でシャッターを切っているのは父だろう。生まれたばかりで記憶などあるはずもないが、この古びた写真を見る度に、奇妙な懐かしさと共に淡い悲しみが心を満たす。
私の家族は、いわゆる複雑な背景を持っている。この写真が撮られた後、母は長らく抱えていた精神病が悪化し、長期にわたる入院生活が始まった。その影響で、私の幼少期は通常の家庭とは異なり、ワクチン接種の有無も定かではなく、腕にはBCGの跡すらない。母子手帳を開けば、そのページはほとんどが空白で、健康や成長の記録は断片的にしか残されていない。
母は沖縄の病院で長期治療を受けることになり、その間、兄と私は関東で父と共に生活した。父は仕事に忙殺される日々で、年の大半を海外で過ごしていた。そんな状況の中、私たち兄弟の日々の面倒を見てくれたのは、父の母、つまり祖母だった。しかし、祖母は独自の価値観を持つ人物で、孫である私たちよりも自分の息子である父を溺愛。裕福ながらも私は、貧しい装いをして過ごした記憶があり、友人たちとの間で浮いた存在だった。誕生日パーティーへは、家にあった古い本をプレゼントとして持っていき、その場で笑いものにされたこともある。
小学校の中学年になる頃、母は退院して家族と再び生活を始めた。しかし、母の姿は病気の影響か以前の面影はほとんどなかった。そんな変わり果てた母を目の当たりにし、最初は母だと認識すらできなかった。その上、母と離れて生活してきたストレスからか、母に対して暴言を吐いたり手を出したりすることもあった。それと最初は気づかなかったが、その間、父は他の女性と関係を持っており、夫婦の間には深い亀裂が生まれていた。退院して家に戻ってきた母の状態は日に日に悪化し、父との間で絶えず争いが続いた。
ある日、小学4年生の私が学校へ行くために目を覚ますと、床には泡を吹いて倒れている母と、そのそばに転がるビール瓶があった。そこには、スーツ姿の父が立っていて、「自殺だ。代わりに救急車を呼んでくれ。俺は仕事に行く」と言い残し、そのまま出て行った。当時その行為の残酷さを理解できずにいたが、父の代わりにあわてて救急車を呼び、母を病院へと搬送した。幸い、母は睡眠薬を大量に摂取したにもかかわらず、一命を取り留めた。
それから2年ほど経ち、母と父は離婚することになった。当時は詳しい事情を知らなかったが、父の多額の借金が離婚の一因だったことを後に知る。離婚後、兄と私は母と共に生活を始めたが、精神病を患っていた母は正規の仕事に就くことができず、家庭環境は一層厳しいものになった。電気が止まることもあり、時には親戚に電話をかけて金銭的な支援を乞うこともあった。それでも、離婚後の生活には家族愛が溢れていたと感じている。しかしながら、厳しい環境は、今の私の価値観や性格にも影響を与えている。
母は62歳でこの世を去った。彼女の人生は多くの挑戦と苦悩に満ちていた。若い頃は非常に優秀で、勉強もスポーツもこなせる人だった。しかし、本来の夢は画家になることであり、美術大学への進学を望んでいたが、父親の反対に遭い、結局は薬学部へと進むことになった。学問に秀でていた母は、母は薬剤師としての資格を持っていた。しかし、精神病を患っているため、実際に薬局で働くことはできなかった。それでも、その免許が私たち家族にとって大きな支えとなった。母は自分の薬剤師免許をある調剤薬局に「貸し出す」という形で利用し、実際には勤務せずに免許だけを提供することで、毎月十数万円の収入を得ていた。
父との結婚に母の実家は反対していたと聞く。その結果、母と実家との間には絶縁状態が生まれた。さらに、母の精神病が原因で、彼女の兄弟たちとも30年以上疎遠になっていた。しかし、母が亡くなる5日前、病室には母の弟が訪れた。長い間のわだかまりがあったかもしれないが、二人は再会の瞬間、互いを抱きしめ合い、感謝の気持ちを共有していた。この写真は、そんな貴重な瞬間を捉えたものだ。そして数日後、母は静かにこの世を去った。

母の葬式には、予想外の人物が現れた。それは、25年ほど会っていなかった父だった。兄が連絡を取り、母の死を伝えたのだ。実は兄は、離婚後も父と定期的に連絡を取り合っていた。私にその事実を伝えなかったのは、私が父を恨んでいると思っていたからだという。25年の時を経て、当時理解できなかった父の苦労が少しは分かるようになった。父との再会は、家族というものの不思議な縁を感じさせるものだった。
その後、私は妻と出会い、結婚して第一子が誕生した。生まれたばかりの息子を抱いて、父に会いに行った。父はその孫を見て大変喜んだ。子供の頃、父との記憶はほとんどないが、その日、初めて父と同じ部屋で眠った。かつて厳格で怖いと感じていた父だったが、その部屋には愛らしいぬいぐるみがいくつか置かれ、長年一人で暮らした孤独感が漂っていた。離婚後、父がずっと自分に対して負い目を感じていたのだろうと思う。
その日、私は父に対して、何も恨んでいないこと、家族でいられたことがどれだけ幸せだったかを、言葉で伝えることができた。父の目には涙が浮かんでいたように思う。言葉は少なかったけれど、長年の重荷が少しでも軽くなったのではないかと感じた。不思議なことに、この翌年、父もこの世を去った。まるで、私との和解を待っていたかのように。
振り返れば、私の家庭環境は決して良いものとは言えない。けれど、その全てを通じて家族の大切さ、絆の深さを身をもって学んだ。生まれたばかりの私を抱く母の姿、そこに立つ兄、そして写真を撮る父。幸せそうなその瞬間は、記憶にないけれど、今も私の心の中で輝いている。家族の形は変われど、永遠に私の中に残る。母の死、父との和解、妻と出会い、そして新しい命の誕生。人生の節目節目で、私は家族の意味を改めて考えさせられた。