普段は外国人への排外主義を批判している。ただ、たまには日本人の価値観や倫理を再考する上でのポジティブな概念も必要だと考える。
自分の能力、つまり日本人としての資質や経験を伸ばすこと自体には賛成だ。それに伴う条件はひとつ。矛先を他人に向けないこと。これは他者を下げるための標語ではなく、自分に課した使命と責任として引き受ける言葉で、外国人や「責任感が薄い」と決めつけた誰かに向ける話ではない。常に自分へ向けておく。「日本人として誰よりも責任を果たし自分自身・国家を成長させる」そう考えるのであれば、これは魅力的な価値観・思想だろう。
しかし、現実にいま流通する排外主義的言説には打算がほとんどで、そしてそれは三つのタイプにわかれる。
- まず自分を被害者に置き、そこから他者否定へ滑る。これは不確実性が高く、不況な状況ほど起きやすい。
- 影響力や収益を得るための手段として利用する。SNSなどの媒体がインフラになり、収益化されたのが要因。
- エコーチェンバーで論調が単純化・過激化し、当人の意見が流される。AIの発達によってエンゲージメントが強化されたのが要因。
上記を見ればわかるが、議論はすぐ「右か左か」に回収されがちだが、実態はそれだけではないことがわかる。従来この種の主張を採らなかった人たちが、環境要因に引かれて新しい言説を取り込む面が大きい。単なるイデオロギー対立では説明しきれない。
ちなみに、これらを脇に置けば、「自分の成長に自分で責任を持つ」という姿勢は成り立つ。だが現実には、その責任を本当に引き受けたうえで語っている人は全くいない。だからこそ、いまの排外主義的言説に、私は強い違和感と矛盾を感じる。