現代社会において、本心や内在する哲学と無関係に、場当たり的な発言を繰り返す人々が目立つようになった。特にその傾向が顕著なのが政治の世界である。2025年という時代、減税を掲げることが一種の選挙戦術として確立され、減税と口にすれば当選が容易になるという風潮が支配的になりつつある。この風潮には、表面的には魅力的な響きを持ちながら、その裏側には危うさが潜んでいる。
減税自体が悪であるとは言わない。減税をした上で税収を超えた歳出の是正がなされ、国債発行に依存する経済構造から脱却できるのであれば、それは称賛に値する。しかし、現実はそう単純ではない。毎年発行される多額の国債、その膨大な利払いによって国家財政は徐々に蝕まれている。政府が収支のバランスを取れない以上、減税は短期的な人気取りにすぎず、その後に待つものはさらなる経済的混乱だろう。それにもかかわらず、票が欲しいがために減税を掲げ続ける政党や政治家がいることは、国家の未来に対する無責任さを如実に示している。
これは例えば夫婦別姓問題も同様の構図を見せる。かつて夫婦別姓に賛成していた政治家が、自らの支持基盤がこの政策に否定的であると察知するやいなや、その立場を簡単に翻す。この変更は深い内省や理論的な裏付けを伴わず、ただ単に目先の票を意識したものである。彼らが語る新たな主張の内容を深く掘り下げれば、そこに内実がないことがすぐに明らかになる。なぜなら、それはもともと信念として内包していたものではないからだ。
政治に限らず、こうした空虚な人気取りの手法は社会のあらゆる場面で見受けられる。特に分断が顕著な時代には、一方の意見に寄り添い、反対意見に対しては鋭く批判的な姿勢を取ることで、特定の層から絶大な支持を得ることができるし、少なくとも分断されている片方とは同化する。これは単純かつ効果的な戦略である。だが、問題はその先にある。このように一方的な立場を強調することで得られる共感は、必然的に反対側にさらなる憎悪を生み、社会の分断を加速させる。
インターネットの存在も、この現象を助長している。本来、情報の可視化を目的としたインターネットが、SNSやインターネットマーケティングの発展により、数値化された評価システムに飲み込まれた。いいね、リツイート、インプレッションといった数値が、人々に自己承認を与え、同時にその行動を最適化させる圧力となる。その結果、人々は内面の探求を放棄し、いかに世間受けするかだけを考えるようになる。
こうした現象の帰結は深刻だ。分断を助長する発言が世論を二極化し、各々が自らの立場を強固にすることで、もはや妥協点は見えなくなる。そして、その先には何があるか。物事の本質的な議論は失われ、論理的な根拠よりも感情的な共感が重視される時代が訪れる。このような状況下では、もはや論理や理念に基づく政策論議や社会的対話は期待できない。
信念なき者が世論の風向きによって発言を変え続ける限り、社会は確実に劣化する。政治家だけでなく、我々一人ひとりがその責任を自覚しなければならない。情報の氾濫するこの時代だからこそ、空虚な声に惑わされず、内なる理念を持つ者を見極める眼差しが求められている。