1. 倫理としての離脱と構造的な設計
6年程前まえに、私はある失敗した。これは単なる金銭的な問題ではなかった。社会的信用、家族の生活、そして私自身の倫理的アイデンティティに直結する失敗だった。
すべての責任を自分一人で引き受けようとした私は、残された資産の上でも法的な観点からも可能な限り整理を行い、最終的には資産をすべて妻に譲り渡し、自分は離婚して一人で身を引こうと考えた。
この判断は情緒的な逃避ではなく、ある種の「構造的倫理」に基づく設計だった。誰にも迷惑をかけず、論理的に責任を清算する。それこそが私の合理性だったし、社会のルールの中で自分を消す、という選択が最も「正しい」と思われた。
この構造的な退場計画は、私自身が徹底して論理的に導き出した、最も整合的で、誰も傷つけず、かつ現実的に機能する判断だと信じていた。私は、自分の失敗が家族、とくに妻や子供たちの人生に波及しないように、あらゆる手段を講じる必要があると考えていた。だからこそ、資産をすべて妻に託し、法的な責任の所在も明確に分離したうえで、自らは関係から離脱する。そうすれば、彼女と子供たちは少なくとも生活基盤を維持できる。
この考えの背後には、私の過去の経験が深く影を落としていた。幼少期の家族関係は不安定で、経済的にも情緒的にも脆弱な環境にあった。そうした中で、誰かの失敗や不全が他者の人生を連鎖的に崩壊させる様を何度も目にしてきた。だから私は、「誰かに迷惑をかけないこと」が人間関係における最低限の誠実さだと感じていたのだ。
2. 妻の選択:言葉を超える否応なき応答
しかし、妻の応答は一言だった。「それでも一緒にいたい」。
その言葉は、あまりにも簡潔で、しかし私の構造を根底から否定するには十分すぎるほどの強度を持っていた。
私は自分が誰かと共に生きる資格があるとは思っていなかった。むしろ、「私といること」そのものが相手にとっての不幸につながるという確信に近い恐れを持っていた。幼少期の家族構造の崩壊、社会的孤立、自尊感情の欠落、そうした背景が、私の行動原理を構成していた。
だが彼女は、私が構築した倫理の構造を否定しなかった。ただし、その構造をまるごと飛び越えてきた。
私はあらゆる要素を論理的に整理し、どの角度から見ても「これが最も負担の少ない道」だと信じていた。誰も不幸にならず、誰にも責任を押しつけず、むしろ相手を守るための決断だった。とりわけ、私は自分自身が社会という構造の中で大きな違和感と苦しみを味わってきたからこそ、自分の近しい人間。とくに妻や子どもたちには、なるべくその構造の中で安心して暮らしてもらいたいと願っていた。
つまり、私は構造の中に自分を位置づけることはできなかったが、構造を信じ、それを土台として他者の幸福を支えようとする“外側からの支援者”だった。
だからこそ、自分が積み上げた構造の計画を、たった一言で飛び越えてきた妻の態度には、強烈な衝撃を受けた。「それでも一緒にいたい」その一言は、私の全設計図のどこにも組み込まれていなかった。
そのとき私ははっきりと痛感した。哲学や理論、どれほど精緻な設計であっても、人間のある種の“選択”の前では無力になる瞬間があるのだと。それは直感的で、予測不可能で、しかし確かな“強さ”に満ちている。私は、そこに人間の根源的な力を見た。
3. 哲学の限界:構造化できない選択の前で
哲学は言葉を通じて世界を記述する。カントは「理性の限界」を語り、ニーチェは「道徳の背後にある意志」を解体し、レヴィナスは「他者の顔」によって倫理の出発点を描き出した。
私が経験した出来事は、妻の一言による否応の選択は、私の中の構造をすべて「機能不全にする瞬間」だった。
彼女の言葉は、構造的には破綻している。損得計算にも、合理的配慮にも反する。にもかかわらず、それは何よりも説得力を持っていた。
バタイユが「内的体験」で語るように、人間は“過剰”な瞬間において、合理性や道徳の構造から逸脱し、それゆえにしか触れることのできない“聖なる領域”を垣間見る。私にとって、あの瞬間がまさにそれだった。
構造の限界とは、「構造が破綻すること」ではなく、「構造では表現しきれない行為が現れること」によって明らかになる。哲学はこの地点で、観察者の位置を失い、ただ経験者として沈黙するしかなくなる。
4. 愛と暴力:構造を超える力の二面性
スラヴォイ・ジジェクは、愛とは「象徴秩序の暴力的な撹乱である」と語る。つまり、真の愛とは既存の社会的構造・名前、地位、役割、常識を一時的にでも無効化するようなラディカルな選択である。
一方で、そのような力は暴力にもつながりうる。ジジェクが示すように、構造を超える行為は「神的暴力(divine violence)」と「純粋暴力(pure violence)」の境界に位置する。構造を超えた行為は、愛に転化すれば倫理の超越として現れるが、方向を誤れば破壊的な暴力ともなる。
私の妻の行為が「愛」であったのは、彼女が私の構造を壊すことなく、それを包み込んだ点にある。もし私の提案を怒りや拒絶として返していたなら、構造の衝突は「暴力」として機能したかもしれない。
5. 哲学の役割:再起としての構造
「贈与」について語るとき、有名な哲学者はこう述べる。「贈与が贈与であるためには、返礼も期待も認知もされてはならない」。つまり、純粋な贈与とは、構造に回収された瞬間に“贈与でなくなる”。
だが、それでも私たちは語る。構造を超える行為が起きたあとで、その意味を探り、それを再度言語の中に位置づける。これは、まさに「哲学の再起」の場である。
構造を信じない者が、構造に希望を託すことはできない。しかし構造を破壊した出来事に出会った者こそが、その構造を再定義する責任を担うのではないか?そう思うようになった。
6. 私の倫理と彼女の愛
私にとって愛とは、「迷惑をかけないこと」「責任を果たすこと」「論理的に破綻のないこと」だった。だが彼女にとっては、「一緒にいたいという意志」そのものが、すでに十分な根拠だった。
この非対称性は、私にとっての驚きであり、戸惑いであり、そして何よりも深い安心だった。
構造を信じて構造に裏切られてきた私は、構造を超えた選択に最も救われた。愛は「正しい」かどうかではなく、「意味がある」と感じられるかどうかで現れる。その意味は構造の内側ではなく、外部から到来する。
7. 構造を超える存在に触れた者として
私は哲学者ではない。だが、哲学の対象となるような出来事に出会った。しかもそれは文字の中ではなく、日常の中にあった。
言葉では語れない行為に出会い、それを再び言葉にしようとする。その矛盾を抱えながら、それでも書こうとする。なぜなら、それが私の倫理であり、彼女が与えてくれたものを記述する責任だからだ。
愛とは、構造を飛び越えた行為の中にしか現れない。だが、それを語ろうとする試みだけが、次の誰かを照らす構造になる。
だから、私は今この文章を書いている。