手紙なら、決してそんなことは言わないだろう

手紙ならそんなことは決して言わない。SNSの世界では、他者への攻撃が容易になる。画面越しの言葉は、容易に刃物となる。しかし、もしそれが手紙ならどうだ?時間をかけてペンを走らせ、封筒を閉じるその瞬間、冷静さが宿り、むやみに相手を傷つける言葉など選ばないはずだ。手紙の性質そのものが、人間の中にある思慮深さを呼び起こす。今の時代、私達は自制のきっかけを日常に取り戻すべきだ。

それと同じことが、もっと個人的な関係にも言える。もし明日死ぬとわかっていたなら、些細な問題など気にすらならない。日々の小さな不満や価値観の衝突など、大した意味を持たなくなる。人は大切なものを失う恐怖に直面するとき、ようやく許すことの意味を悟る。だからこそ、普段からその感覚を忘れてはいけない。

私は昔から、他者に一定の知識や価値観、理念を求める傾向がある。それは無意識にでも、相手に対して基準を設定し、そこに達することを期待する姿勢だ。だが、それがどれほど愚かしい結果をもたらすか、私自身、痛感する瞬間が多々あった。人は常に自分の基準を相手に押し付けることで、お互いにとって息苦しい環境を作り上げてしまう。その先に待つのは衝突か、あるいはすれ違いによる関係の破綻である。

結局、最後に必要なのは許容する心で、相手の欠点をそのまま認め、受け入れる寛容さこそが、お互いのためになる。しかし重要なのは、ただ無条件に許すのではなく、自分自身がある程度の知識や価値観を持った上盤で、その基から相手を許容することだろう。何も知らず、何も考えずに共感するのではなく、理解した上で受け入れる。その違いは大きい。

許容とは甘さではない。むしろ、それは深い洞察と冷静な自己反省を伴う行為だ。基準を持ちながらも、その基準に縛られない柔軟性を持つこと。そのバランスこそが、人間関係を健全に保つ鍵なのだと思う。つまり、手紙が持つ思慮深さと同じだ。感情に流されず、相手と自分の本質を見極め、必要な言葉だけを選び取る。それができるとき、私達はようやく他者と真に共鳴し合えるのではないだろうか。