選挙のたびに、立憲民主党の政治家が落選すると、保守派の人たちが揶揄する光景がよく見られる。行き過ぎた左翼が応援活動を超えて過激集団のように見えることもあり、それが批判の対象になることもある。どちらも批判される側から見れば癪に障るだろうが、冷静に見れば、その批判の的になる理由は自明だ。
保守派の人々が、どんな人であろうと、自分たち支持政党の候補を支持し続ける理由はシンプルで、「リベラルが嫌い」だからだ。この感情は、論理や事実を飛び越えたところに根を下ろしている。たとえば、兵庫県知事選挙での公職選挙法違反という明らかな問題にすら目をつぶるのは、この感情が「何が正しいか」ではなく、「誰が嫌いか」を基準にしているからだ。
しかし、この「リベラルが嫌い」という感情自体は、決して非難するものではない。嫌いなものは嫌いだし、それが理屈を超えた感情の問題である以上、そこに外野がどうこう言えるものでもない。恋愛に例えればわかりやすい。好きな人に夢中なとき、たとえその人が嘘つきであろうと、嫌いな人から「お前は騙されている」と言われても耳を貸さない。それが人間の感情というものだ。
ただし、ここで一つ指摘したいことがある。自分で選んだどうしようもない恋人(あるいは政治家)によって不幸になったとき、責任を周りに押し付けるのはやめるべきだ。特に、「お前は騙されている」と警告してくれた人たちに対して八つ当たりするのは筋違いだ。自ら選び、自らの判断で支持した結果なのだから、その失敗の責任は自分で背負うべきだ。
しかし現実には、都合の悪いことが起これば「財務省が悪い」「立憲民主党が悪い」などと論点をすり替え、周囲に責任を押し付けようとする姿勢が目立つ。自ら選んだ政治、都合のいい話に飛びついてきた結果なのだから、まずは自分自身を見つめ直すべきだ。それが社会というもので、社会は決して親切な母親ではない。