沈黙する自我・劣等感と誤認の構造

感情の断絶と「自我なき幼少期」の感覚

私は長らく、自分の幼少期には「自我」が存在しなかったのだと思い込んでいた。
その感覚の背後には、荒涼とした家庭環境がある。母は統合失調症を患い、入退院を繰り返していた。家庭内の時間は、情動の抜け殻のような空間で、対話はかろうじて機能する社会的なジェスチャーに過ぎなかった。

たしかに母の中には愛情があった。ただしそれは、物理的な接触や言葉の交換として現れるよりも先に、現実の不在によってその姿を縁取られてしまっていた。
こうした情緒の欠落は、私の内面における「他者との交差」という概念を曖昧にし、結果として「自我とは何か」という問いすら定義されないまま、時間だけが静かに通過していった。

私はただ、「在る」という感覚の不在の中で育った。


自我の「遅れ」と周囲との差異の錯覚

明確な「自我」の手触りを感じたのは、高校に入った頃だった。
ある瞬間、私の内側に沈潜していくような感覚が芽吹いた。自己が自己の影を踏み、踏まれた影がまた私を見返すような、言葉にならない往還。

だが、それを口にすれば、人々は一様に驚いた。彼らにとって「自我の芽生え」は、もっと幼い時期に自然に起こるものだったらしい。
私はその反応に戸惑い、そして納得もしていた。彼らは感情を的確に制御し、社会の律に沿って自然に振る舞っていた。私にとってそれは不可能だった領域だ。だから私は、自我の目覚めが「遅れた」のだと、ほとんど自明のように思っていた。

だがその認識は、後に根底から揺らぐことになる。


ニーチェの「深淵」との共鳴による構造の転換

転機は40歳を過ぎて、思想との出会いによって訪れた。
ロバート・キーガンの発達理論に触れ、「第5段階」・すなわち、自己を対象化し、自己の認識枠組みそのものを捉え直す視座を知ったとき、私はある決定的な感覚に襲われた。

それは、長く私の中に沈んでいたものに対する照明だった。
さらに、ニーチェの「深淵をのぞく者は、深淵からものぞき返される」という句に出会ったとき、私の認識は静かに反転した。私はそこに、よくあるような「悪に呑まれる恐怖」などは見なかった。
むしろあの言葉の奥に、主体と対象の転倒・自我の構造的反照作用を感じた。

その瞬間、私はようやく腑に落ちた。
高校時代に感じたあの「目覚め」は、感情の発露などではなかった。ましてや発達の遅れでもない。
それは、自己が自己に沈みこみ、内面を構造的に把握しようとする初期の運動だったと。


「内面への潜行」としての自我・他者とは異なる発露

私の自我は、他者のように外界との交差と定義したのではなく、内面への潜行として認識した。
そして言葉にならない衝動に突き動かされるように、当時の私は唐突にランボーやロートレアモンの散文詩を読みふけり、やがて自分でも詩的なものを書き始めた。

その営みは稚拙で未熟だったが、あの時の私は明らかに「外界との関係性」ではなく、「自己との関係性」を通じて自分を立ち上げようとしていた。
振り返れば、それはまさにキーガンが描く構造の自己化への助走であり、後に確信へと変わる直観の萌芽だった。


誤認としての「自我の遅れ」・再評価と受容

ロバート・キーガンの理論やニーチェの言葉に導かれるようにして、私は40歳を過ぎてようやく、自分の自己評価が根本的に誤っていたことに気づいた。
「自我の芽生えが遅かった」という長年の認識は、客観的な事実ではなく、私自身による自己の誤認だったのだ。

その誤認は、私が自らの内面構造の特異性に無自覚だったこと、そして、社会的な基準・感情の発露や制御、秩序あるふるまいを尺度として、自分を測っていたことに起因していた。

実際には、私はかなり早い段階から、内面を構造的に眺める視座を育てていた。
だが当時の私は、それを「感情の発達」と取り違え、他者の自我と比較することで、自分の在り方を「遅れているもの」と決めつけていたのだった。


劣等感が歪めた精神的素養の認知

この誤認は、より普遍的な問題に接続している。
人は、環境的不遇や社会的コンプレックスのなかで、自らの素養すら劣等として誤認してしまう。それは自己評価のフレームが、他者との比較という外的基準に委ねられているかぎり、避けられない認知の罠だ。

私もその罠に長く囚われていた。
あのとき私の中に芽生えていたのは、他者のそれとは異なる形式の自我だった。それは、感情の発露ではなく、内面の構造そのものを静かに捉えようとする視座の始まりだった。