現象の表層を越えて考える
社会にあふれる事件や議論は、しばしば単体で消費され、個別の是非だけが語られる。しかし、それらを孤立した断片ではなく、連続する構造の断面として見つめるとき、人間の倫理と欲望の真相が浮かび上がる。ゴシップと移民問題、この二つの現象は一見無関係に見えながら、共通する構造を孕んでいる。それぞれの現象について、順に追っていく。
1. 芸能人ゴシップと社会規範の隠れた役割
芸能人のゴシップや失態・醜聞が暴かれ、世間が激昂する光景は現代の常態だ。ある者は「そんなことに関わる暇があれば自分の人生を生きろ」と言い捨て、ある者は怒りを燃やして断罪する。しかし、そのどちらの立場に立とうとも、見落とされがちな事実がある。このバッシングが、知らぬ間に社会の倫理規範を支えているという点だ。
個人の過ちが公共の場で裁かれることで、人々は何が許容され、何が許されないかを無意識に共有する。道徳は理念やスローガンではなく、具体的な行為とその社会的反応を通じて形作られる。くだらないと感じる者でさえ、この規範による恩恵を受けている。バッシングの醜悪さに眉をひそめながらも、我々はそこから完全には逃れられない。これが共同体の倫理の機構であり、社会の見えにくい支柱である。
2. 移民受け入れと治安安定の現実
移民政策をめぐる議論では、多様性を称賛する声が響く。人権、共生、国際化——これらの言葉は美しく、耳に心地よい。しかし、現実に目を向ければ、外国人による犯罪率が日本人より若干高いという事実も否応なく存在する。
日本が比較的治安を維持できている背景には、移民の少なさがある。多様性を叫ぶ者もまた、この安定の中で安心を享受している。治安が大きく揺らぐ国では、多様性の理想も容易に吹き飛ぶ。現実の基盤に無自覚なまま理念を語ることの軽さを、我々は歴史から学ばねばならない。美しい理想だけでは、社会は成立しない。
例えば、昨今ではクルド人に対する問題が頻繁に取り上げられ、治安悪化の象徴のように語られることがある。しかし一方で、米兵による事件などについてはどうか。リベラルを自称する人々は、米軍基地問題において米兵の犯罪を強く批判してきたではないか。この対比を無視して、移民に対してだけ過剰な反応を示すなら、それは単なるダブルスタンダードに過ぎない。理念を語るのであれば、その対象や立場を問わず一貫しているべきだ。これを無視して語る議論には、もはや倫理性は残らない。
3. 対立の裏に潜む同質の矛盾
ここで見えてくるのは、表面的な立場の逆転だ。ゴシップ問題ではリベラルが攻撃に回り、保守が寛容を説く。移民問題では保守が排除を訴え、リベラルが受容を主張する。立場は真逆に見えるが、深層の構造は驚くほど同一である。すなわち、「自らの脅威と感じる対象に対して攻撃的になり、安らぎをもたらす対象には寛容になる」という単純な自己防衛反応だ。
しかも、ここでより深刻なのは、どちらの立場であれ、結果として社会の安定や恩恵を享受しているという構造を無視している点だ。ゴシップをくだらないと切り捨てる者も、そこで形成された倫理規範の恩恵を受けている。多様性を賛美する者も、移民が少ないことで得られる治安の安定に無意識に依存している。それにもかかわらず、議論の場では自己の立場だけを正義とし、他者を糾弾する。この無自覚な自己利益の構造を見落とす限り、どちらの主張も空洞化し、根本的な矛盾を内包し続けることになる。
そして、この状態では、社会がよりよくなる方向へ発展することはない。立場の表明に終始し、自身が享受している現実的な利益や構造的恩恵に対する認識がなければ、議論は永遠に平行線をたどる。もし本当に社会を改善したいのであれば、まず自らが無自覚に享受している恩恵を直視し、その上で責任を引き受ける覚悟を持たねばならない。自己利益と理想の狭間にある矛盾を、外部にではなく、自己の内側に問い続ける態度こそが、初めて次の一歩を可能にする。
4. 立場の対立では本質は見えない
リベラルか保守か、右か左か。現代の情報社会は、人間を常に二項対立の座標に押し込める。その中で人々は激しく立場をぶつけ合い、勝敗に一喜一憂する。しかし、本当に見るべきは、誰が勝ったかではない。「なぜ争いが起きるのか」「感情と利益がどのように構造化されているのか」この問いに向き合うことこそが重要だ。
情報空間に可視化されているのは、あくまで立場であり、構造ではない。メディアもSNSも、個々の「表明された態度」ばかりを浮かび上がらせ、その背景にある普遍的な人間構造にはほとんど光を当てない。表面的な議論をどれだけ重ねても、本質には近づかないのはそのためだ。
思想なき立場、倫理なき怒り、信念なき主張。それらが時代を覆う中で、人間が最後に守るべきものは何か。それは、世界の不完全さを見据えながらも、自らを欺かずに立ち続ける意志だ。世界を変えることは容易ではない。しかし、自己に誠実であることは、誰にも奪えない。