インターネット上では、いつの間にか「真偽」より「数字」が優先される秩序が定着した。嘘でも派手な物語なら拡散し、いいねと再生数が膨らむ。その瞬間、投稿者は社会的に“認知された存在”となり、嘘であるという事実は後景に退く。評価を得られるかどうかがあらゆる情報の価値尺度になり、真実性の有無と同じレイヤーで並列に判断されるという奇妙な状態が成立した。
若い世代はこの仕組みを疑問視せず、自然なルールとして受け入れている。彼らは価値を測る指標として可視化された数字しか提示されてこなかったからだ。嘘かどうかより、どれだけ広がったかがすべてを決めるゲームに最初から参加させられているに過ぎない。
そして、この構造を設計したのは大人たちだ。プラットフォームはエンゲージメントを最大化するアルゴリズムを組み込み、広告主はその指標に紐づけて金を払った。教育は後追いでしか対応せず、嘘を流通させるコストはほとんど上がらないまま放置された。結果として「嘘よりもいいねが価値を持つ」という評価基準が強固なインセンティブとして残った。
いま起きているのは、嘘そのものが正当化されたわけではなく、嘘をついても得をする経済システムが先に成立し、その上に世代間の意識差が固定化されたという事実だ。若者の順応は合理的な適応行動であり、責任の根は構造を敷いた大人側にある。嘘と評価が同一ラインで裁定される世界は人工物にすぎず、作った側が手を入れなければ変わらない。