衰退する社会における政府介入の必要性とリスク

米山議員の観点は、衰退する社会における規制とルールの決定プロセスに対する深い洞察を示している。彼は、このような社会状況下で規制やルールを民間に任せると、各々が自己の損失を避けようとする結果、利害の衝突が生じ、結局は社会全体の不利益につながると指摘する。これは、個々の企業や団体が自己中心的な利益追求を優先し、社会全体のバランスを考慮しない傾向に基づく。この状況では、公平性と全体の利益を考慮できる政府の役割が不可欠になる。

対照的に、成熟した民主主義社会では、民間の自己調整能力が高く、公正かつ効果的な規制の策定が可能だ。しかしそこまで成熟した民主主義社会であれば現在の日本のように衰退する社会をマネジメントするということ自体が不要になっているはずだ。

しかし政府が規制やルール作りにおいて主導権を握る場合、理論的には公平性や社会全体の利益が優先されるべきだが、これには重大な落とし穴が存在する。政府の過度な介入と規制は、政府の権力を強化し、市民の自由や民間セクターの自律性を侵害する可能性を秘めている。これは、政府の権力が拡大し独裁的な傾向に陥るリスクを含んでいる。独裁的な政府はしばしば市民の基本的自由を制限し、反対意見を抑圧する傾向にある。

これは政府が「社会の利益」という名の下に、実際には特定の政治的アジェンダを推進することにつながる。さらに政府の決定が市民の意志やニーズから乖離する可能性もある。これは政府が市民の意見を十分に反映せず、エリート層や特定の利益団体の意向に沿った政策を推進することを意味する。

特定の政治家個人の高い志があったとしても、国民が衰退する社会を管理する際に政府が規制やルールを作るという方針に合意した場合、そのシステムを利用する者(政治家や権力者)たちが多数を占めることが問題である。実際、高い志を持つ政治家が存在しても、その政治家を取り巻く者たちによって、その志が利用され、結果として政治が正しく機能してこなかった事例が多い。

この現象は、政治的な理想や目標が、実際の政治運営の過程で歪められ本来の目的から逸脱することを示している。政治家の周囲には、しばしば自己の利益を追求する者たちが集まり政治的な決定がこれらの個人や集団の利益に沿って形成される。これにより、政治的な決定は公共の利益よりも特定の利益団体の利益を優先する方向に傾く。

このような状況は、政治的な決定が市民全体の福祉や社会全体の利益を反映する事を困難にする。政治的な決定プロセスが特定の利益団体によって支配されると、政策は公平性を欠き、社会的な不平等や不公正を生む。これは政治がその本来の目的、すなわち市民全体の福祉と社会全体の利益のために機能することを妨げる。