人はしばしば、自己の価値観や考え方を表現し、それに基づいて他者を非難することで、自己のアイデンティティや道徳的正当性を確立しようとする。この行為は、自己の内面での認識としては一種の「認知的均衡」を生む。この概念はレオン・フェスティンガーの認知的不協和理論に由来し、個人が自己の信念、態度、行動間の一貫性を求める心理的傾向を指す。
自己の思想や信念体系内で一貫性を保つことは、自己の理念に対する自信や正当性を強化し、結果として「真っ当な人間」という自己認識を支える要素となる。これは、自己の内面においては心理的安定性や満足感をもたらす一方で、外部から見た場合の影響は異なるものとなり得る。
他者から見ると、このような行為はしばしば「偏狭」や「非寛容」と捉えられることがある。この認識のギャップは、「主観と客観の対立」として捉えられることが多い。主観的な観点では、自己の行動や信念は理にかなっていると感じられるが、客観的視点からはその行動が狭隘であったり、他者の視点や感情を考慮していないと見えるのだ。
イマヌエル・カントの「普遍的法則としての行動の最大化」の原則に基づけば、自己の行動が普遍的な原則に基づいていない場合、それは倫理的に正当であるとは言えない。
結局、このような状況は、自己の内面的な満足と外部からの認識の間の葛藤を示しており、個人が自己の価値観や行動を客観的に再評価する機会を提供するものとなる。