賢さはあるが訂正はない。固定観念を拭い去れない時代

検索エンジンやAIのおかげで事実にたどり着く労力はほぼ消えた。それでも人は自身の固定観念を刷新できない。データは山ほど手元にあるのに、思い込みは強く、むしろ硬化する。この逆説は人間の認知構造と社会的仕組みが作り出したもので、誤情報そのものより「誤りを手放せない性質」が核心にある。

脳は確認バイアスや認知的不協和の回避でエネルギーを節約する。大量の情報が押し寄せるほど、脳は既存の物語に沿う断片だけを選び取る。数的能力や専門知識の有無は関係ない。高能力者はむしろ豊富なデータを動員し、自説を論理的に補強する。賢さは訂正の武器にならず、合理化の道具へ変わる。

社会は「優秀な人は間違わない」という幻想を抱きやすい。肩書きやフォロワー数がハロー効果を生み、批判の手を鈍らせる。本人にとって誤りを認めるコストは高騰し、撤回は先送りされる。旧来の同業者どうしの相互チェックは、大衆的な称賛の大音量にかき消されやすい。

プラットフォームはエンゲージメントを重視し、強い感情を呼ぶ投稿を優先表示する。正確さより刺激が価値を持つ環境で、慎重な訂正は埋もれ、即時的な確信が増幅される。そこにパラソーシャルな支持層が加わる。一般ユーザーや陰謀論コミュニティは、権威者の言説を自分のアイデンティティに組み込み、防御壁となる。ファクトチェックが提示されても、コア支持者はむしろ結束を強め、誤りはさらに動かなくなる。

情報アクセスの容易さは、認識の柔軟性を約束しなかった。可視化された称賛、アルゴリズムの刺激偏重、固定観念を支える心理的省エネ装置が絡まり、人は「変わらないまま膨大なデータを扱う存在」になった。問題は誤情報の量ではなく、誤りを修正できない構造そのものだ。認知バイアスを自覚させ、訂正を損失でなく価値に変える仕組みを設計しない限り、情報の海はただの鏡面となり、各々の先入観を映し返し続ける。