以下の再解釈は、従来の「男性は〈名前を付けて保存〉、女性は〈上書き保存〉」という比喩を別角度から読み替えつつ、結果としては別種のステレオタイプを補強してしまう恐れもある。そのリスクを自覚したうえで、あえて論を進める。もしも新旧いずれの図式にも回収されない個々の経験があるとしても、ここでは“平均的傾向”という操作概念に立脚している点を、まず断っておきたい。
恋愛を語る常套句に「男性は〈名前を付けて保存〉、女性は〈上書き保存〉」という比喩があるが、私はこれを単純化された二分法として違和感を覚える。
この比喩は「男性は未練を残し、女性は切り替えが早い」という固定観念を下敷きにしているものの、現実はもっと複雑で、むしろ女性のほうが過去の関係を細部まで鮮明に覚えていることも少なくない。
一方で、彼女たちはその記憶に必要以上に足を取られず、これが「覚えている」と「引きずる」を混同しない視点を要する理由でもある。
問題の核心は記憶力や感情の強度ではなく、終わった関係を自我のどこに配置するかという構造にある。
男性は往々にして過去の恋愛を自己の内側に取り込み、「自分史」の連続性を保とうとする傾向があり、感傷的な気質に加え、社会的に自己決定権を持ちやすい立場ゆえに、選択や歴史を一貫した物語として保持したい欲求が働くからかもしれない。
対して、女性は関係性を自己の外側、あるいは生活文脈の外へと移動させることが多く、これは記憶の抹消ではなく、経験の整理に近い。
就職・結婚・育児など、役割が段階的に更新される現実の中で、過去の恋愛は「現行作業フォルダ」から「アーカイブ」へ自動的に移されるため、未練とは無関係に整理が進むのである。たとえ大きな失恋であったとしても、関係を外側に置くという構造そのものが、結果的に傷の癒えを早めることにもつながっている。
要するに、女性は過去を忘れているわけではなく、覚えていながらそこに長くとどまらないだけであり、記憶と執着は同義ではない。
こうした視点で捉えれば、「保存」と「上書き」という二項図式は表層的なレッテルに過ぎず、私たちが恋愛の記憶をどう扱い、自我の内外にどう位置づけているかを問うことのほうが、関係の全体像を立体的に浮かび上がらせる。