本来、道徳感や倫理観は尊厳や尊重を基盤として形成されるべきものだ。
しかし、現代の分断された社会情勢の中で、これらの基盤が揺らぎ、意図しない過程でイデオロギーへと変質していく現象があると感じた 特に、対立する勢力からの攻撃や相互の敵意が増す中で、個人や集団が持つ道徳感や倫理観は次第に歪められていく。
元々の尊厳や尊重に基づく価値観が失われ、自己防衛や攻撃のためのイデオロギーへと変貌する。この過程は、特に極端な思想を持つ左右の人達に見られる。 こうした内部的な要因が、社会全体の分断をさらに深めている。
対立が激化する中で、もともと持っていた倫理観や道徳感が極端に変質し、対立する他者を排除するためのイデオロギーとして機能するようになっている。 この現象は、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』で論じられた全体主義のメカニズムと共通する部分がある。
アーレントは、イデオロギーが人間の尊厳や尊重を破壊し、個々の判断力を麻痺させる過程を詳述した。現代の分断された社会でも、イデオロギーは同様に、個人の尊厳や尊重を奪い、敵対する他者を非人間化する手段として機能している。
これは2024年にあった東京都知事選について感じた事をまとめた文章で、選挙が社会を分断する現象には、現代特有の構造的な問題がある。それは、選挙という場が単なるリーダー選びや政策の選択を超えて、価値観やアイデンティティを巡る闘争の場へと変質していることだ。
まず、選挙は単なる民主的なプロセスではなく、価値観を賭けた「戦争」の様相を帯びている。対立する勢力は、自己を正当化し、相手を敵視することで支持を集めようとする。その過程で、本来は尊厳や尊重を基盤としていた道徳感や倫理観が、相手を攻撃するための「武器」に変わる。これにより、倫理や道徳が持つ本質的な意義が失われ、集団の利益や安全保障を優先するイデオロギーに置き換えられていく。
この現象の背後には、社会全体に広がる不安や対立がある。不確実な時代には、人々は自分たちを守るために他者を敵と見なし、道徳や倫理の基準を自己正当化のために捻じ曲げる傾向が強まる。特に選挙では、この傾向が顕著になる。選挙は、リーダーシップの選択だけでなく、社会全体の方向性を決めるものとされるため、より深い対立が引き起こされる。
さらに、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』が示唆するように、イデオロギーは個人の尊厳や自由を奪い、他者を非人間化する力を持つ。現代の選挙においても、敵対勢力を「排除すべき存在」として描き、支持者の結束を強める手法が用いられる。この過程で、倫理観や道徳感は集団の目標達成のための単なる手段へと堕落していく。
問題は、この現象が選挙という一時的な場面だけに留まらず、社会全体の分断を恒常化させる点にある。選挙を繰り返すたびに、分断は深まり、互いの敵意が積み重なり、社会の統合がますます困難になる。選挙は本来、共通の未来を議論する場であるべきだが、現実には対立を強調し、社会の断絶を固定化する役割を果たしている。
この現象を乗り越えるには、選挙に求められる「勝利」の論理を再考する必要がある。道徳感や倫理観が対立の手段として消費されるのではなく、対話と相互理解を促進する基盤として機能する仕組みが求められている。しかし、その実現には、社会全体が分断の現実と向き合い、これを克服しようとする努力が不可欠だ。選挙は単なる対立の場ではなく、社会の結束を再構築する場となるべきだという視点が重要である。