たぶんAIは、これから人間のことをかなり精密に説明できるようになる。
既に感情や記憶や愛についても、哲学者や思想家よりも構造として組み立てて提示できる。何が起きているのか、なぜそうなるのか、どういう仕組みなのか。そこまでは、かなりの精度で届いていくだろう。
ただ、それでもAIは人間として生きることはできない。
傷つくことも、失うことも、誰かと長い時間を過ごして、その関係によって自分が少しずつ変わっていくこともない。記憶が欠けても、その欠片が感情や態度に滲んで、関係性になって残っていくようなこともない。AIのメモリーはメモリーのままだが、人間の記憶はその人の一部になっていく。
愛も同じだと思う。愛は、正しく応答することではなく、相手がそこにいて成り立つものだ。思い通りにならない他者がいて、ズレや凸凹があって、それでも関わる。その不完全さごと引き受けるから尊い。
努力もそうだ。
今までは、より正確に、より速く、より完璧にできることが価値として求められてきた。けれど、それを代替できるものが生まれたことで、逆に別のものが見えてくる気がする。何をうまく仕上げたかだけではなく、その人がどれだけ時間を使い、どれだけ向き合い、どれだけ自分のものとして引き受けたか。今までは成果の陰に隠れて評価されにくかったそういう部分が、これからはむしろ尊く見えてくるのかもしれない。
それは、ただ不器用さを肯定したいという話ではない。代替可能なものが増える時代だからこそ、代替できないものが残るということ。愛も、記憶も、努力も、結局はその人が生きた時間そのものだから。
だから私は、AIが進化するほど人間の価値が薄れるとは思わない。むしろ逆で、人間にしか生きられないものが、はっきり見えてくる。
そしてそれは、私自身がある意味で望んでいた社会の一つの形でもある。完璧さだけが価値になる社会ではなく、どれだけ引き受けてきたか、どれだけ本気で向き合ったかが、価値や重みを持つ社会なのだから。